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    <title>８２５日記　- なぜパンを焼くか -</title>
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    <modified>2008-05-13T06:10:49Z</modified>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[松の丸太を割る]]></title>
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 <issued>2008-05-13T15:10:49+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[ <div class="leftbox"><embed type="application/x-shockwave-flash" src="http://picasaweb.google.com/s/c/bin/slideshow.swf" width="500" height="375" flashvars="host=picasaweb.google.com&RGB=0x000000&feed=http%3A%2F%2Fpicasaweb.google.com%2Fdata%2Ffeed%2Fapi%2Fuser%2F825diary%2Falbumid%2F5196527143458146017%3Fkind%3Dphoto%26alt%3Drss" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer"></embed></div>チェーンソーでのしびれが切れないうちに、今度は切った松の丸太を木割り斧で割っていく。<br />
<br />
チェーンソーはもともと実家で父が使っているものを借りた。ガソリンエンジンの道具はできるだけ使うまいと思っていたが、使うことになった。その経緯はすでに書いた。<br />
木を割る道具もエンジンつきで簡単操作のものが売られているが、こちらは実家にはない。代わりに木割り斧を使うことにする。生まれて初めてかもしれない。<br />
<br />
松の丸太をまず半分に、それからさらに半分に、という具合に割って行くが、最初の半分に割るまでが、非常に大変だった。これだけ太い松の丸太だと、数回叩き込むだけではびくともしない。１５分ぐらいあっちこっちを叩き続けて、ようやく半分になった。一つの丸太を片付ける頃には、手にはたくさんのマメができた。それに、チェーンソーでの作業の直後で、体力を消費しきった。<br />
<br />
しばし呆然と、割れて薪に姿を変えた松や、遠くの山を眺めながら、腰を下ろしていた。風が心地よかった。頭には何も思い浮かばなかった。]]></content>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[チェーンソーを研ぐ]]></title>
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 <modified>2008-05-11T23:12:28Z</modified>
 <issued>2008-05-12T08:12:28+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<div class="leftbox"><embed type="application/x-shockwave-flash" src="http://picasaweb.google.com/s/c/bin/slideshow.swf" width="500" height="375" flashvars="host=picasaweb.google.com&RGB=0x000000&feed=http%3A%2F%2Fpicasaweb.google.com%2Fdata%2Ffeed%2Fapi%2Fuser%2F825diary%2Falbumid%2F5196525610154821137%3Fkind%3Dphoto%26alt%3Drss" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer"></embed></div>夕食のとき、ぼくがチェーンソーに苦労していることを父に伝えると、チェーンソーを研ぐ（目立て）、ということを教えてくれた。父は今まで数回チェーンソーの目立てをしたことがあると言う。「今のは、わしが研いだやつだから、切れんようになっとるかもしれん」と、但し書き付きの説明ではあったが、何も知らないぼくにとっては、チェーンソーに心開くには十分なきっかけとなった。<br />
<br />
チェーンソーの刃はＬ字に曲がった立体的な刃で、チェーンに４センチほどの間隔でついていて、箸のような丸いヤスリを使って、１つひとつを研いでいく。包丁や彫刻刀でさえまともに研げた試しのないぼくが、チェーンソーの刃を十分に整備できるはずもないけれど、何事も体験、ぼくがすればどうなるか、というのはやってみないとわからないことであり、それを報告するのがこの卒業「研」究、というわけで研いでみた。<br />
<br />
刃についたゴミがとれて、きらんとした。それだけで満足。目立てというより、歯磨きだな、これは。<br />
<br />
さっそく、８２５に持って行って切ってみることにする。<br />
お、何か違う。切れてる、気がする。とたんに、チェーンソーへの抵抗感が無くなって、身体が攻めに入る。調子に乗って切っていると、腕がパンパンになる。チェーンソーといえども、勝手に切れてはくれない、しっかり押さえつけたり動かしたりしないとだめなので、全身にかなり力が入る。最後はさすがに手がしびれてきた。<br />
<br />
目立てという行為でチェーンソーの刃に自分の感覚が拡張して、木（自然）と自分の接点をいくらかでも新しくイメージできる。それは今までのチェーンソー使用体験と全く違うことだ。目立て経験の前は自然と自分が接していなかったのではないか。自然を具体的に感じるというのは、道具をカスタマイズして使用することで実現するといえるかもしれない。<br />
<br />
チェーンソーは混合油（ガソリンとオイルを混ぜたもの）を燃料とする。パリパリと大きな排気音がする。松の木を幹の先の方から根元に向かって丸太状に切っていくので、だんだん直径が大きくなっていく。この小さなチェーンソーでは、この松の丸太を４回切って、燃料が切れる。この燃料の消費され具合は、目立ての前と後で大差がない。しかし、明らかに道具に対する自分のストレスは軽減されているし、イメージも具体的である。刃物を研ぐという行為は創造性に富んでいる、といえるかもしれない。<br />
]]></content>
 <id>http://blog.love-aono.org/825.php:3:504</id>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[木小屋を建てた]]></title>
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 <modified>2008-04-20T14:15:00Z</modified>
 <issued>2008-04-20T23:15:00+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<div class="leftbox"><embed type="application/x-shockwave-flash" src="http://picasaweb.google.com/s/c/bin/slideshow.swf" width="500" height="375" flashvars="host=picasaweb.google.com&RGB=0x000000&feed=http%3A%2F%2Fpicasaweb.google.com%2Fdata%2Ffeed%2Fapi%2Fuser%2F825diary%2Falbumid%2F5191964853102674945%3Fkind%3Dphoto%26alt%3Drss" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer"></embed></div>カリンの木に、ピンク色のひらひらしたかわいい花が咲いている。<br />
<br />
木小屋のために整地した場所へ、さっそく屋根を作る。先日８２５で切り出しておいたクヌギの木を柱にする。浪板（材質：ガルバリウム）は<a href="http://www.komeri.com/">コメリのWeb通販</a>で購入済み。<br />
<br />
小屋の耐久性を優先する手段はいくらでもある。日本の大工さんは様々な木についての知恵を伝承しているし、手近な材料を使って作る方法なら多くの情報も様々なメディアを通して手に入る。これらを元にすれば、設計の時間、材料費、作る手間はかかるものの、それらのプロセスで大工仕事の知識を身につけたり、材料や道具を買い集め、いろいろ試してみたりというのは、趣味としては最高に楽しそうだ。情報を集め、一つずつ実践し技術を身につけてみるには、確かによい機会には違いない。<br />
<br />
でも、今は違う考え方をしたい。もう他に選択肢がない、という状況に自分を置きたい。情報のぬるま湯につかってるんじゃなくて、自分の先端を細く鋭くとがらせて、ずぼっと地域に刺さりたい。<br />
<br />
前にも書いたが、丈夫な建材として木を得るには、春に切ってはよろしくないと、父にいわれた。この木小屋の柱がその真実を語るだろう。しかし、計画のためには、今もっと必要なのだ。<br />
残りの材料をもとめて再び山に入ったが、すでにその時、木々は芽吹き始めていた。ぼくは理屈抜きでそれらを切り出すのをためらった。その現象は、できるだけ身の回りの自然の材料を使って、というこの計画のコンセプトより優先すべきことがあることを、ぼくに端的に知らしめた。残りの必要な木材は、ホームセンターで購入したものを使うことにした。そして、木は１０〜１１月に切る。やっぱりそれが一番いいと思う。<br />
<br />
木小屋は１日で建った。それでいい。]]></content>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[小麦は？]]></title>
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 <modified>2008-04-14T16:21:00Z</modified>
 <issued>2008-04-15T01:21:00+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<div class="leftbox"><object classid="clsid:02BF25D5-8C17-4B23-BC80-D3488ABDDC6B" codebase="http://www.apple.com/qtactivex/qtplugin.cab" width="128" height="111"><param name="src" value="http://blog.love-aono.org/media/2/20080505-TS2C09731.JPG"><param name="autoplay" value="false"><param name="controller" value="true"><param name="pluginspage" value="http://www.apple.com/quicktime/download/"><embed src="http://blog.love-aono.org/media/2/20080505-TS2C09731.JPG" autoplay="false" width="128" height="111"></embed></object></div>しばらく、スナタ（小麦を栽培している畑）に行っていない。放置状態だ。<br />
母のケータイをいじっていたら、１枚だけ、小麦の写った写真があった。それで思い出した。日付は４月１１日になっている。<br />
<br />
８２５の整地や木小屋作りですっかり忘れていたけれど、写真を見る限り、ずいぶん大きくなっている。手前はスカスカなところが写っているが、奥はしっかり茂っているようだ。ここ最近の暖かさでもっとぐんぐん生長しているだろうし、もしかしたら花も咲いているかもしれない。雑草もたくさん生えている。今頃は大変なことになっているかもしれない。近いうちに見に行って、草取りなどせねば・・・。]]></content>
 <id>http://blog.love-aono.org/825.php:3:501</id>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[卒業研究ａレポート1]]></title>
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 <modified>2008-04-12T13:35:00Z</modified>
 <issued>2008-04-12T22:35:00+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<div class="leftbox"><embed type="application/x-shockwave-flash" src="http://picasaweb.google.com/s/c/bin/slideshow.swf" width="500" height="375" flashvars="host=picasaweb.google.com&RGB=0x000000&feed=http%3A%2F%2Fpicasaweb.google.com%2Fdata%2Ffeed%2Fapi%2Fuser%2F825diary%2Falbumid%2F5196113263229633665%3Fkind%3Dphoto%26alt%3Drss" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer"></embed></div>卒業研究では、２回のレポートと２回の面接指導の後に、最終的な卒業論文を提出することになっている。最初の「レポート１」の締め切りは、４月１４日必着。つまり、明後日。<br />
<br />
明日は天気が良くないとの予報。ということで、本日８２５にパソコンを持って行って、レポートの仕上げをすることにした。すっかり草の絨毯が広がっている。少し曇って、風も冷たいけれど日差しは暖かだ。それにとても静か。といってももちろん無音ではなく、小鳥はさえずり、風が吹けば木々も鳴る。<br />
あと、この近辺は下りの旅客機（国内線？）の航路になっているようで、上空を東から西へと飛んでいく音がする。広島空港に降りる飛行機などは、車輪が見えるほど間近く見える。ひなたは、バスや電車より、旅客機を見る回数のほうが多いかもしれない。それぐらいよく飛んでいる。でも、ぼくにとっては、すでにそれが耳障りということはない。国道沿いに暮らす家の人が、絶え間ない車の往来の音になれてしまうのと原理は同じだ。<br />
しかし、時々ヘリコプターが飛んでいるのは、気分が悪い。いつまでも上空を旋回している。お年寄りの家に、高額の「我が家の上空写真」を勝手に撮影して押し売りする業者もある。あと、警察か何か、上から市民を見下ろすような存在を連想する。<br />
<br />
はっきりいって、机も椅子もなく、晴天の８２５で、ノートパソコンを持っていっても作業は大してはかどらなかった。しかし、重要なひらめきは２、３、レポートに影響を与えたように思う。以下に、少し長いが、レポートの全文を掲載しておく。字数のほとんどが、このブログの再編集である。<br />
<b>■はじめに</b><br />
<br />
　２００８年１月、卒業研究の開始とともに、ブログ（ http://blog.love-aono.org/825.php )を開設した。ブログの名前は「８２５日記　- なぜパンを焼くか -」とした。「８２５」とは、我が家の農地を含むある山の一帯の呼称で、この地域（岡山県井原市青野町）では「ハチンゴ」と呼ばれている。おそらく山についた古い番地に由来しており、土地の登記簿では「ハチニゴ」となっている。<br />
　このブログで公開していることは、パン屋の準備でも、農家の営みでも、村おこしの活動でもない。結果的にそれらにとって価値のある何かが生まれるとしても、自分としてはまったく違う目的がある。<br />
　ぼくは大学の芸術学科に在籍しその卒業論文を書かねばならない。つまり、自分なりに「芸術とは何か」という問いを発し、これに対して、モノを見たり作ったり、本を読んだりなどして、自らの感性を働かせ、思考をめぐらせ、その結果を言葉にしてまとめねばならないわけだ。ぼくは、その題材として自分の実践を報告する、ということを選択した。このブログではその実践のプロセスが写真とともに公開されている。<br />
<br />
　ぼくは報告しようとしている活動を、あらかじめ次のように計画した。<br />
<br />
「まず、地域にある身の回りの自然素材（石、土、木、竹、水など）を用いて、代々受け継がれている山の中の農地（８２５という名称）でパン窯を制作する。そのパン窯で焼くパンに使う材料の小麦は自家栽培、またパン用の酵母菌は８２５で採取・培養する。燃料も８２５の雑木で薪を作り、これを用いる。実際にパンを焼き、そして、この地域で行われる７年に一度の神楽（荒神神楽）の際に、荒神様とよばれる地縁の神様に奉納する。」<br />
<br />
　もしこの一連の活動が、一般のパン屋や農業としての行為あるいは物作りであれば、食品衛生、あるいは利潤や効率の追求を優先するべきという観念に、その方法や内容が規定されることだろう。しかし、この活動はそれらいずれでもなく、自らを規定するものを自らで選択できるのでより多くの自由がある。だからといって、清潔であること、経済的であることをないがしろにするつもりは全くない。それどころかむしろその本質についてより深く理解したいと思っている。<br />
　ところで、ここでなぜ、パン屋や農業を意識するのかというと、それは今こうして芸術学を志している自分とは別に、パン屋や農業に携わる可能性を十分にはらんでいる人生をぼく自身が自覚しているからに他ならない。そして、将来いずれかを専門的に選択するにしても、あるいは横断的に携わるにしても、ぼく自身の生き方は自分自身にとって、またできることなら同時に他の人や今の世の中にとっても創造的でありたい。この卒業研究に取り組むことで、その思いを持続する志をよりいっそう強くしたいと思っている。<br />
<br />
<br />
<b>■第１章　パン屋と農業と芸術学</b><br />
<br />
　パン屋だから、あるいは農業だから当然こういうものだろう、といった固定化した観念を疑い、そして新しくする。それは必ずしもパン屋や農家がなさねばならないことではない。もちろんパン屋自らが他にないパン屋を目指す、あるいは従来とは異なる方法によって農業を試みる、ということは当事者にとっても地域社会にとっても大いに価値のあることだろう。また、そのような行いが単に商業的な目的における他との差別化のためだけでなく、なぜパン屋なのか、なぜ農業なのかという問いを含んでいるならば、パン屋がパン屋であろうとする、農家が農家であろうとすることと、同様に重要なことであろう。<br />
　この卒業研究での実践で目指す固定化した観念を疑うということは、この世にパン屋がなかったところへパン屋を作るような、未だかつて農業などなかった世界で農業を始めるような、そのようなことと等価な試みを想定している。あるいは、この時代のパン屋がパン屋でなくなるような、この時代の農業が農業でなくなるような、つまり次の時代を開く試みと言い換えてもいいかもしれない。<br />
<br />
　人間は特別な存在ですべての生命の頂点に立つという２０世紀的思想は問い直される必要があるが、一方で人間としての自分の生き方を問うことを抜きにしては成り立たない。だから、物事の深部、地球の表面に築き上げられた観念のその地盤のずっと下で、ゆっくりとうねって膨大なエネルギーがひしめく生命の地殻こそ、２１世紀の哲学や芸術の活動領域ではないだろうか。だとすれば、騒々しく威圧的な「科学」に秩序づけられた日常から距離を置き、静寂に満たされた生命の海に自らの身体を預けて、自由に感性を働かせ思考をめぐらすこと、すなわちぼくがぼくなりに芸術学を学ぶことは、なぜ今パン屋なのか、なぜ今農業なのかの問いに対しての答えを導き出すのに有効でないはずはない。<br />
　騒々しい「科学」とは、極めて広い領域で今の時代の有り様や人の生き方を規定し、人間の精神や身体の自由を奪う一部のそれのことであって、もちろんすべての科学の研究や理念の全否定を意図してはいない。ぼくはここで、科学的でない「科学」が隙あらば日常の生活やその基盤に侵入し、生活全体を矛盾で塗りつぶそうとしてくるのを感じていて、その「感じ」を説明しようとしているのである。<br />
　例えば、近年の環境問題の筆頭に挙げられ広く知られている「地球温暖化」という現象について、ぼくらは科学的に理解し納得することが困難な状況にある。「地球温暖化」の原因については、人類が石油を燃焼することで排出する二酸化炭素にあるという学説が全世界的に支持されており、一方で、例えば、過去の地球の気温の変化と二酸化炭素の量の関係を調べ、常に気温の変化が先んじていたという結果を示し、二酸化炭素は地球温暖化の原因ではないと主張する学説などは、ぼくらの耳に届きにくい。また「環境のため」のものを作ったり買ったりすることが、消費者自身によって、実際にどれほど「環境のため」になっているのか確認することも、その基準を決めることもできない。もはや、これは自然を科学的に理解することより、ある学説を「経典」として「信じる」ことが強要されている状況を示しているのではないだろうか。<br />
　ぼくらは「地球温暖化」を「防止する」などという、人間の身体的尺度からはるかにかけ離れた現象に対する取り組みを日々要求されている。また、行政及び企業の多くの事業はこの「二酸化炭素地球温暖化脅威説」が正しいことを前提に、生活者の目に入りやすいしかたで頻繁に告知されることが因襲化している。そして、多様な自然現象の中で条件が重なって起こる「自然な」異常気象でさえ、元をたどればすべて（石油を消費する）人類に原因があるという思い込みも生じるようになる。そうした状況を乗り越えるために、ぼくは哲学や芸術が必要であると思う。卒業研究の題材においては、そうした時代に生きている日常の実感もまた、静かな場所を作り自分の生き方を再考したい、そしてその実行可能性を確かめたい、という動機となっている。<br />
　２１世紀に入ってから、産業界、行政、そして「科学」の連携による騒々しさは増す一方で、ぼくらが世界や自分を「理解する」ことの困難さに加えて「信じる」ことの困難さもまた増しているように思う。ぼくらの心には確かに「信じる」メカニズムが備わっているのだろう。「自然な」異常気象が神から与えられたものと思うか、あるいは原因が人間にあると思うか、どちらにしてもぼくらの「信じる」という心のメカニズムが機能していることに違いはない。しかし「信じる」という心の働きを、どのように自分自身に用いるかは、やはり自分で決めなければならない。そのためには「理解する」ことが比較的簡単な物事が自分の環境となりやすいことを自覚し、その状況に自らを投じて固有な関わりを持とうとする、すなわち身近なところから「信じる」ということを自分自身に取り戻すことが必要ではないかと思う。<br />
<br />
　この実践の目的は、自分の感覚や感性を働かせて、山や農地という場所、自然物や自然現象、生物、人工物、家族、地域社会などと固有に関わりを持とうとし、そうすることによってしか発見し得ない何かを志向する中から、精神的・文化的な営みを再考（再興）することである。<br />
<br />
<br />
<b>■第２章　活動初期の概要</b><br />
<br />
　初期（２００８年１月〜４月上旬）の作業内容は、いくつかのことを同時進行する必要があった（最後までそうかもしれない）。それらの概要を示す。<br />
<br />
・小麦の栽培に関すること<br />
　昨年１２月に種を蒔いていた。ほ場は８２５に隣接する「砂田（スナタ）」と呼ばれる畑である。分蘖（ぶんけつ：茎の根に近い節から新しく茎を出すこと）させるための「麦踏み」という作業を合計３回おこなった。<br />
<br />
・パン窯に関すること<br />
　８２５の農地は谷筋の上方にあり完全に平坦な場所というのがないが、できるだけなだらかなところにパン窯を作る場所を決め、草刈りや落ち葉かきなどから始めた。後で気づいたことだが、斜面を利用して作れば、土台を積み上げることもある程度省略することができたかもしれない。ただ、パン窯に隣接して小屋を建てることも可能なので、当初の場所で進めていく（小屋に関しては、作業をしたとしても、卒業研究には含めない）。また、パン窯の場所を鍬とスコップで簡単に整地をした。<br />
　パン窯の土台は、地域内の広域農道の工事現場からもらった赤土と、地域内の道路に落ちている石を材料とする。赤土は昨年すでに入手している（一部、手作りレンガを試作中）。石についてはこの初期段階で概ね必要量を確保して運び込んでいる。<br />
<br />
・松の木に関すること<br />
　パン窯の場所のすぐ脇に、樹齢約５０年の枯れた松の木がこちらに傾いて立っていた。いずれこちらに倒れてきそうであったが、建っている場所は他の家が所有する土地であったため、許可を得て、あらかじめ切り倒した。この作業では、チェーンソーを用いたりなど、想定していないものとなったが、多くのことが学べたと思う。<br />
<br />
・ブログの開設、更新に関すること<br />
　既に書いたようにこの実践はブログで公開しながら進めている。活動初期段階は作業時間の多い時期と重なったため、作業や思考する量が多く、更新がやや滞った。利用しているシステムは過去の日付にさかのぼって更新できるので、後からまとめて更新するようにしている。作業の際、デジカメを持参し忘れることがしばしばあった。<br />
　ブログにはコメント機能があり、これによる読者とのコミュニケーションが、作業内容、記録、公開の過程に何らかの影響を与えていると思う。また、８２５に訪れた来客についても可能な限りブログで紹介することにしている。<br />
<br />
・作業の協力者（家族）に関すること<br />
　両親は１５年前から実家で祖父母との生活を始めており、父の定年前から実家にて兼業農家を営んでいる。８２５は当時荒れた山であったが、両親とその友人が木々を伐採し、果樹の苗を植えるなどして切り開いた農地である。祖父母は、地域の習わしや農作業、また今回活用したい地域にある自然物などに関する貴重な情報源となっている。また、ぼくの妻や娘も８２５などにできるだけ同行させて、共に作業するようにしている。<br />
<br />
<br />
<b>■第３章　活動初期の経緯（ブログの再編集）</b><br />
<br />
１月１１日<br />
　ブログを始める。<br />
<br />
１月１２日<br />
　小麦の麦踏み（１回目）。父がスナタ（砂田）に2種類の小麦を蒔いてくれていた。ニシノカオリと農林６１号。８２５（ハチンゴ）に向かう途中で畑をのぞくと、ピロピロと芽が出ている。とりあえず１回目の麦踏みをする。小麦を踏むと、当然芽が傷つくが、その傷から新しい芽や根が出る。これを分蘖という。そうして、立派な株になる。 <br />
　パン窯を作り活動拠点とする場所探しのため、８２５に足を踏み入れた。冬の８２５は見晴らしがいい（木々の葉がすべて落ちているため）。夏の強い日差しを、青々とした葉を茂らせたイチョウの木がさえぎってくれる情景をイメージして、これとウメとのあいだのスペースが候補にあがる。枯れた松の木がある。できればこれを切り倒して薪にしようと思う。<br />
<br />
１月１３日<br />
　Googleマップを利用して「８２５日記」用の地図を掲載する。Googleマップには、地図にポイントや線、およびそれらについての説明を書き込める機能があり、ブログの更新に合わせて随時地図も更新していくことにした。<br />
<br />
２月１２日<br />
　小麦の麦踏み（２回目）。まだ、小麦の芽は前回からそれほど成長していないが、立ち上がっているので実行した。<br />
<br />
２月１９日<br />
　昨年度の『芸術編集』のレポートを全文公開した。ここではじめて、このブログの目的が明らかにされた。<br />
<br />
２月２０日<br />
　この記事では、レポートの添削内容に触れた。<br />
　レポートの中でこの卒業研究の概要を「・・・神楽に奉納する実践報告」と書いたが、そこに「・・・神（楽）に奉納する・・・」と、添削指導教官によって（　）が書き添えられている。まず、ぼくは神事についての理解が足りなかったことに気づかされた。「神楽」が「神」へ奉納するものであるのと同様に、パンも「神楽」にではなく、「神」へ奉納するものと考えねばならない。仮に「神楽」に奉納するということをそのまま実践してしまうと、ぼくの行為はいわば「神楽」の下請け業者のようになってしまうということだ。<br />
本来「奉納」とは、「神」へダイレクトに納めること、「神」と自分が直接の関わりをもつ行為として考えなければならない。<br />
　では、いったい「神」はどこにいるのか？「奉納」を実行するにはそれがわからなければならない。住所のない手紙を届けることはできない（「神」の所在を知っている人がいるかもしれない）。<br />
　パンを焼き、奉納することは、「神」を発見する、感じる、イメージする実践でもある、ということになりそうだ。 <br />
<br />
２月２４日<br />
　近所で山火事がある。以前、８２５でたき火をした時、誤報で消防車数台が来て、消防隊員にそのたき火を消されてしまった思い出話を書いた。剪定で切り落とされた梅の木の枝を、後々たき付けなどに活用できるよう、長さを切りそろえる作業をした。雪が降っていた。<br />
<br />
３月１日<br />
　３回目の麦踏みをした。まだまだ寒いと思っていたが、お日さまの照り具合が強くなってきたのか、小麦はぐっと、ふさふさしてきた。品種は「農林61号」と「ニシノカオリ」の２種類。蒔いた種はある農家から勉強用にいただいたもの。今回の「農林61号」は種がやせていた印象があったけど、やはりあまり芽が出ていない。来年のためにもしっかり育てないといけない。<br />
<br />
３月４日<br />
　地域の自治会役員会の宴席で、小学校をなくさないために個々で子供を産み育てる家庭を確保するには、という話題が出て、産業としての農業だけでなく、この地域では昔ながらの治山治水、自給自足の暮らしも選択できなくなはいことを考えてもよいのではないか、という話が出た。この卒業研究に関する活動は「原始的」な作業で構成しようとしているので、より具体的にその意味について考えることができそうな気がした。<br />
　あるネットの掲示板（mixi内）で、「田舎にずっと暮らす人はある程度自給自足を行っているが、何もそれが目的で田舎に暮らしているわけではない。しかし、都市暮らしの一部の人は自給自足を目的として田舎暮らしを求めている。」という書き込みがあって、考えさせられた。何をもって自給自足というかは、それを目的として行う本人によって決めることであり、その意味では芸術活動に通じる行いであると思った。<br />
<br />
３月１７日<br />
　パン窯を作りたい場所の真横に、枯れて傾いた松の木があった。何日かかけて斧で切り倒したいと思っていたが、父は何も言わずチェーンソーを持って薮の中へ入ってしまった。普段は静寂に満ちたこの場所に、甲高いチェーンソーのエンジン音が鳴り響く。思ったよりかなり大きな松だ。父が木の下敷きになったら・・・、倒れた木が弾んで父の側頭部がそれに打ちつけられたら・・・、父は死ぬかもしれない。しかし、もはや父はチェーンソーと一体化している。そのことが、父の行為をとめることにともなう危険を、はっきりとぼくに伝えた。ぼくは黙って見守るほかなかった。松の木は無事倒れた。小さなザクロの木がその下敷きになる以外は。倒した松の木を観察していたらいつの間にか日が暮れていた。<br />
この記事ではじめてビデオ（音声付き動画）を掲載した（YouTubeを利用）。<br />
<br />
３月１９日<br />
　パン窯の材料の一部を運びはじめる。これから連日、石や土を運ぶ作業が続く。<br />
　数年前に実家の庭先に作りかけていたパン窯があって土台までできていたのだが、これを解体して今回の材料とする。使われている石は庭や畑や河原から拾ってきたもの、土は８２５など周辺の山の赤土。とても重い。今日は１人で運んだ。自分の身体がどれぐらいのエネルギーや運ぶ機能、時間を持っているか、運んだものの量を見て理解する。そして、ガソリンエンジンの車や重機がどれほどパワフルか、あるいは融通が利かないか（道路がないと使えないなど）というのを、自分の身体を尺度にして考える。８２５の畑は道路に面しておらず、軽トラックすら入れないので、猫車（手押し車）が非常に重要な役割を果たす。<br />
<br />
３月２２日<br />
　中山間地域には、過去に岩盤の山肌を削ってまで作って、しかし今ではあまり利用されなくなった古い道がある。もちろん当時は貴重な道だったはずだけど、田舎の道も車社会で淘汰されるのだろう、みんな少々遠回りでも広くて走り心地のよいアスファルトの道を通るし、その道に沿ってまた集落も再形成される。古い道は、あまり整備が進まない。ゆえにいつまでも「落石注意」の標識が立っているものだ。ということで、この標識を「落石を集めるよいポイント」と読み替えて、石拾いをする。気兼ねなく、堂々と、人の手垢にまみれていない石を手に入れる。<br />
　こういう道に落ちている石は、そこにある前は岩盤の一部であった、いわば岩（あるいは山）から生まれたばかりの石だ。エッジが立っていて、直線や平面が多い。見た目のイメージは石器時代の石斧や鏃のようだが、岩からはがれ落ちるぐらいだからとてももろい。パン窯の土台に使うには加工しやすくて好都合だろう。いくつも拾っていくうちに、愛着も湧いてきた。誰も見向きもしない素材でものを作るのは、それだけで新しいものができそうな気がしてわくわくする。<br />
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３月２４日<br />
　初めてチェーンソーで木を切った。ビデオでは両親が固まったようにぼくの作業を見ている。このビデオを見たぼく自身も固まってしまった。ぼくがもしエンジニアだったとして、自分自身のためにチェーンソーという道具を作っただろうか？ぼくはなぜこうしてチェーンソーを使って木を切っているのだろうか？ぼくはそれを望んだのだろうか？何にせよ、ほんとうに恐ろしい道具だと思った。しかし、まもなくまた使用することになるだろう。そしてすぐに慣れてしまうのだろう。<br />
　ところで、切っている枯れた松はとても立派な松である。山に生えているので剪定などされていないし、長い年月をかけて幹は分かれいびつに曲がっている。しかし、幹や枝の中心部はとてもしっかりとしていた。生きているように鮮やかだし、とても固くて強い。ぼくはこれを単に燃料に使おうとしているが、ここはよく考えた方がよいかもしれない。この木は、ぼくにそれを促している。<br />
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３月２６日<br />
　京都造形芸術大学の松井利夫先生がスクーリング科目「芸術環境演習」の教材研究にこられた。<br />
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３月２９日<br />
　今度は青野ダムに石を拾いにいった。マラソン大会や地域の草刈り作業などで青野ダムをぐるりと囲む道は何度か来たことがあるけれど、そこに「落石がある」ということは意識したことがなかった。予想は的中して、まさに落石の宝庫だった１人で抱えられないほど大きい石も落ちてる程なので、軽トラのサスペンションが悲鳴を上げ始めるのにそれほど時間はいらなかった。<br />
　ぼくはいつの間にか、落石を拾い集めること自体が好きになっている。石がどういうふうにそこに落ちているか、石の大きさ、色、形、質、道や山肌に対して落ちている位置、落ち葉に埋もれる、車に踏まれるなどの時間の経過、崩れた山肌、それを崩す水、木の根、風の通り、地質、そのすべてが作る場所の風景を楽しんでいる。パン窯の土台としてふさわしい石を選んで持ち帰るという目的とは別次元で、そうした場所の記憶を求めている自分、落石が与えてくれた感性を積極的に働かせている自分がいることに気付く。<br />
　落石があるところで石を拾うということは、ある程度の危険性を伴っているのは当然である。石が何時落ちてくるかは拾う人が決めることではないのだから。山道やダムの周りでも、本当に危ない、あるいは人目につく箇所の山肌はコンクリートで固めてある。しかし、そういう場所は「落石の感性」がまったく働かない、つまらない場所である。安全性は、感性にふたをするのかもしれない。<br />
　パン窯の土台分はだいたい拾えたようなので、石拾いはとりあえず終了。<br />
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３月３０日<br />
　８２５を作業スペースとして設計するとしても、これからどんな作業があるのか未知の状態で完璧な設備をデザインすることはできない。そういう状況で当面は常に「とりあえず」の設備を「そのへんにある材料」でこしらえることになる。「とりあえず」というのは移動とか、解体とかを前提に、あるいはもっと長いスパンで考えて無駄のない再利用や自然の循環を意識することが大事だと思う。<br />
　薪を置く場所「木小屋」の材料集めを始める。まず山から柱用の木を調達する。<br />
　薪はもちろん木だけど、使う前によく干さないとよく燃えない。先日倒した松の木も、枯れているからといってすぐ使えるわけじゃない。倒した木を薪として扱いやすい長さに切って、それを割って雨にぬれないように保管する場所がいる。これが「木小屋」。<br />
　母と相談してまずは８２５のクヌギの木を１本切ろうということになった。樹齢１０数年程度で大木ではないので、ノコギリで切れると思ったが、生きている木、しかも春になって水を吸い上げ始めた木というのはなかなか切れない。もっとも腕も道具も素人のものだからという理由も大きい。結局チェーンソーの世話になる。素人だから、切った木を梨の木の上に倒してしまう・・・。<br />
　１本の木から木小屋の柱になりそうなのが３本とれた。生きている（水をすっている）木というのは見かけ以上に重い。それを運んでいると山の仕事は尊いなと改めて思う。柱に使う部分以外の枝や根元付近の太いところは、焚き物として使えるように同じ長さに切りそろえる。その作業もとても楽しい。結局日が暮れるまでそれをした。<br />
　夕食の時、春に水をすい始めている木は腐りやすいよ、という指摘を父から受けた。木にしても竹にしても、秋から冬にかけて木の生長がゆっくりになり、なおかつ充実している時に切るのが、材料として長持ちさせるこつ。根から吸い上げられた水が木の中に滞るということは、それだけ木を腐らす微生物が繁殖しやすいということだろう。今回は、そういう知恵も随時身につけていけていき、考察したい。<br />
　それにしても、何十年もガソリンスタンドで勤務していた元サラリーマンの父だが、山暮らしも１０年以上になってすっかり山の人になっている。父からいろいろ教えてもらえる、そのこと自体がとても嬉しく思う今日この頃である。<br />
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４月１日<br />
　土を盛って窯にするわけだが、レンガに比べて扱いにくいこともある。運んだり積み上げたり・・・。それで特に用途を決めたわけでもないが、入手している赤土の一部を使って、形だけレンガのようにしてみた。赤土に水を足して足で踏んで練って、木の型に入れて日陰で干す。赤い土も、乾くと白っぽくなってきた。いずれ、野焼きもためしてみようと思う。<br />
　この辺りの地層は、特に表層は粘土質の赤土になっている。これは農作業に強烈な抵抗感を与えるものだし、昔（といっても母の世代まで）は草履や靴に赤土がついているだけで「いなかもーん」と石を投げられたりするシンボルだったりしたらしく、あまりよいイメージがない。最近でこそ、赤土で栽培した根菜は絶品とか、グルメな話題でちょっとプラスイメージを獲得したけど、ただ、パワーショベルでゴンボウを掘る映像などは、ゴウゴウと石油を燃やして加温するぶどうのビニールハウスと同じく、風情のある農村風景とは言い難い。長い間、大切にされた畑などは、有機物が豊富でかなり黒くなっているが、粘土質には変わりなく、やっぱり農作業は大変なようで、狭い畑でも小型のトラクターをみな使っている。祖父は地域の産地化に力を入れ始めた世代に属していて、その苦労話はとても興味深いのだが、そのなかにもやはり「大根を栽培して作ったたくあんはとてもおいしくて好評だったが、大根の収穫にあまりにも労力がかかってみなやめてしまった」というのがある。また、雨の降った次の日も畑に入ってはいけない、という教えがあるが、これも粘土質だから靴の裏にたくさんついてしまって作業にならないという理由からかもしれない。畑に入ってはいけないとはいっても、入らないと食べていけないわけで、不利な話である。<br />
　しかし、祖父の世代までは、建材としては積極的に利用されていたようで、比較的簡単に採取できる赤土ポイントが地域のどこにあるのか、教えてくれる。２カ所あって、教えてもらった場所に行くと、どちらも道に面しており、いびつな形にえぐられ真っ赤な地層がむき出しになっていた。地域でも土壁の材料にしたり、炭焼き窯につかったり、建材としての性質が見いだされていたようだ。ただ、今になってはそのいずれの用途にも用いられず、素材としての存在はそれを活かす技術と赤土コンプレックスとともにすっかり忘れ去られようとしている。ただ、これだけ赤土が豊富なのに、あまりレンガ作りの建物を見かけた事はないので、もしかしたらレンガには向いていないのかもしれない。<br />
　そんな材料を使って、ぼくはパン窯を作ろうとしている。採取した場所は、祖父の教えてくれたいずれの場所でもなく、現在建設されている広域農道の工事現場からもらったものだ。たまたまそこで運搬の仕事をされている近所のおじさんがいて、パン窯を作りたいと事情をいうと、トラック一杯分運んでくださったのだ。ぼくはその工事（１０年以上続いている）に心底嫌悪感を抱いている。自然の谷は深いところで２０メートル以上埋められ平地になり、山は高いところで２０メートル以上えぐられ人口の谷が出現し、慣れ親しんだ地域の地形は変わり果ててしまった。その上５軒ほどの農家が畑に行くときしか通らない道に一億数千万円と噂されるコンクリートの橋がかかり、その下には足がすくむような人口の絶壁が表れた。環境破壊も甚だしいし、税金の無駄遣いとしか思えない。しかし、その現場の土をもらってしまったことで、ぼくは正面切って広域農道建設反対！ということもいえなくなってしまった。その記憶だけでも、これから作るパン窯に残しておきたい。<br />
　ところで、最近よく聞く石窯というのはたいてい市販の耐火レンガや耐火モルタルを使っている。土窯というのもちらほら見かけるが、それはやはり周辺の土で作った窯が多い。いずれも薪でパンを焼く。とてもおいしいパンが焼き上がる。乾燥中のレンガを見ながらふと思ったが、土でいったんレンガを作って窯にすると、それは石窯か、土窯か？同じような疑問を持った人がいたのか、最近は「アースオーブン」とお洒落にネーミングされたりしているようだ。そう呼ばれてもはずかしくないパン窯ができればいいなと思う。<br />
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４月２日<br />
　天気や気分でその日の作業内容を決めている。雑然とがれきがたまってきたので整頓をしたいけれど、重いものばかりで進まない。暖かくなって、草の緑色もそこかしこに目立ち始めた。夏には雑草でぼうぼうになってしまうだろう。とりあえず、松の木の枝や切りそろえている細いほうの幹などをあつめたり、落ち葉を掃いたりして、これから窯を建てる拠点となる場所の空間を開いてみる。ここにどんなものができて、どういう風景が作られるのだろうか。何もないってのも悪くない。風はまだ少し冷たいが、天気は良く、日が当れば心地いいので、ぼーっとしてしまう。<br />
　松の倒木の整理は一仕事だが、ボチボチやる事にしよう。どうせなら、そこへ立ちはだかっている笹薮もさっぱりして切り株が見えるようにしたい。この大きな松は、８２５開発の初期段階にとても大きな影響を与えているが、これをどうするかと考える事もひとつの楽しみになっている。<br />
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４月３日<br />
　曇っていて寒い。連日の石運びなどで身体に少し疲労がたまっているのを感じる。今日は笹薮を刈って、松の木の切り株がよく見えるようにする。そうすれば、いつも切り株にあいさつができる。<br />
　笹は鎌やノコギリでは滑って切りにくいので、剪定用の大きなはさみでちょきちょきと切って進んでいった。笹の中には、棘のある木（正しい名前は知らないが「ブーコン」と呼んでいる）も混じっていて、何度も棘が刺さって、非常に作業しづらかった（手の傷は、風呂でとてもしみた）。<br />
　松の根元が出て来た。存在感がある。はじめは単に枯れて傾いていて小屋などを建てた後に倒れてきたら困るので切っただけだが、今ではなんとなく親しみもわいてきた。出生の不明な製材された材木に親しみはわきにくいし、あるいはこの土地をなんらかの業務として造成するということであれば、枯れた木などたくさんある木のじゃまな一本に過ぎない。しかし、こうして自分の身体をある環境に置き、全方向に向けて感性を働かせながらひとつ一つの行為の意味を考えていると、固有な影響を与えてくる特定の樹木となる。<br />
　地域で大切にされた巨樹が神様として奉られたり、天然記念物に指定されたりする。確かに樹齢数百年にもなる木だと圧倒的な存在感を感じずにはいられないが、だからといってこうした数ある平凡な木の一本には何もないのかといえば、そういうことはない。きっと昔の人は樹齢数百年だろうと数年だろうと、それが家の一部になったり、燃料として食事や暖をとるための貴重な資源となり得て、自分や家族や地域を生かす何かであるからには、程度の差こそあれ、当然いっぽん一本が尊い存在であったんじゃないかと思う。そうでなければ、巨樹を巨樹として大切に育て上げる過程が存在しないことになってしまうから（巨樹も始めは種から始まった）。<br />
　ということで、この切り株とこれからも親しんでいきたいので、松元和男さん、と呼ぶことにした。年輪を数えたら、５０歳前後。松元さん、８２５のこと、色々教えてください。これからもよろしくお願いします。<br />
<br />
<br />
<b>■結び</b><br />
<br />
　ここで「芸術編集」の事後課題レポートにおいて書いた祖業研究の概要について見直すことで、活動初期段階での成果、今後の課題について考えて、本レポートのまとめとする。<br />
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「ここ数年、ぼくは３つの自問を繰り返している。（１）パンを作るとはどういうことか。（２）我が家に伝わる農地をどのように受け継ぐか。（３）ぼくの卒業研究はどうあるべきか。この３つの問いは今のところ、何の関連性もなく個別にある。ぼくの身体は１つであるが、頭の中には自分が３人いるかのごとくバラバラである。」<br />
<br />
　幸いなことに、この活動を始めてから、ひとつの自分の身体に３人の自分がいるバラバラ感は、すでに解消されつつある。<br />
<br />
「今年（2008年）11月、ぼくの住む山村集落で７年に一度の荒神神楽が行われる。この神楽に、もっとも「原始的」な方法で焼いたパンを奉納する。備中神楽には「福の種」と呼ばれる餅、みかん、お菓子などを観客にばらまく演目があるが、奉納するパンはこれに使ってもらうためのものである。」<br />
<br />
　荒神神楽についての調査というのは、今の時点で何も行っていないが、これについてはどこまで調べて書くべきか。現段階では「地縁の神様」である荒神について、また奉納される備中神楽については、一般的な解説程度でよいのではないか、と考えている。一方、ぼくがパンを奉納する今回の荒神神楽については、機会があれば準備段階にも関わって、その様子や感じたこと、考えたことを、詳しく書くことになると思うが、その時期が来なければ書くことができない。<br />
<br />
「問題は「原始的」なパン作りをどう実現し、受け継ぐべき「農地」とどう結びつけるかである。<br />
　まず、「８２５（ハチンゴ）」と呼ばれる山間の土地の一画を整地する。そこへ周辺にある土、石、竹、木などを用いてパン窯を制作する。燃料としてハチンゴの木から薪を作り、パンの材料には自家栽培の小麦と、ハチンゴのわき水もしくは雨水と、ハチンゴで採取した微生物をパン用の酵母として使用する。これはこの卒業研究における「原始的」という言葉の定義ではなく、実践を「原始的」に探求するとりあえずの道しるべにすぎない。むしろその過程で発見があることを期待する。」<br />
<br />
　ぼくは、自分の身体を使い、できるかぎりモノやサービスを買わないという原則でこの実践に取り組む方針で、もとよりそれが達成できそうな行為を想定して計画を立てた。<br />
　はじめは、お金がないからという理由でこの計画が中止にならないよう予防しようという意図で、タダで手に入る素材を前提に作るモノを決めたのだが、実践してみれば直ちにその方針のもたらす困難さに気づくことになった。素材となる落ちている石がタダでも、それらを必要とするだけ運ぶためには、軽トラック（ガソリン代、保険料、税金）を必要としたし、木を切ったりするにも様々な道具が不可欠となった。道具の中にも、例えばチェーンソーのようにエンジンで動く（石油を必要とする）ものもある。計画通りにことを進めるためには、試みてはみたが、ノコギリで雑木１本も満足に切り倒すことができなかったのだ。このことは、農業にとって「動力を得るための石油」は、非常に貴重で不可欠であることを再認識する機会となった。<br />
<br />
　協力者との関わりは、この活動の方針（「原始的」に事を進めること）を相対化する貴重な経験となった。<br />
　近所の土木関係のおじさんに地域内の工事現場を掘り起こした際に、タダで粘土が手にはいるならください、とお願いして、それが採取、運搬も含めて無償であっても、一升瓶を一本お礼に、という地域社会における慣例的なことを省略することはできなかった。先に上げたチェーンソーにしても、はじめは全く使う予定がなかったが、ぼくの計画を聞いた父が自発的にチェーンソーを持ち出して、最初の大きな松の木を切り倒し、またぼくにチェーンソーの使い方も指導した。ぼくにはそれを断る理由を見つけられなかった。もちろん、これらは実践初期における発見、成果であって、計画全体の失敗を意味しない。<br />
<br />
　ただし、あくまでも基本方針通り、普通なら買うような道具や材料があったとしても、このプロジェクトではできるだけ買わないようにして、買えば便利な何かはたくさんあるのに、拾ったり、作ったりして、買って解決する何かと引き替えにそういう経験を積み重ねることで、感性を働かせる多様な動機を得ることは続けていく。例えば、切った木の幹を、引きずれば軽いのにあえて肩にのせて斜面を歩き運んでみる。がれきの山や、倒した松の枝など、散らかっているものを何となく片付けて空間を広げてみる。日が暮れるまで静寂に耳を傾け、それから暗い中、家まで歩いてみる・・・。そうして、８２５という場所に固有に関わろうとする、場所で感じたりイメージしたりすることを持続させる。今後もそうしたあり方で計画を進めていきたい。<br />
<br />
<b>【参考文献】</b><br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html%3FASIN=4891762128%26tag=mykuad-22%26lcode=xm2%26cID=2025%26ccmID=165953%26location=/o/ASIN/4891762128%253FSubscriptionId=1WZYY1W9YF49AGM0RTG2">室井尚『ポストアート論』白馬書房　1988年</a><br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html%3FASIN=438805884X%26tag=mykuad-22%26lcode=xm2%26cID=2025%26ccmID=165953%26location=/o/ASIN/438805884X%253FSubscriptionId=1WZYY1W9YF49AGM0RTG2">甲田幹夫『ルヴァンの天然酵母パン』柴田書店　2001年</a><br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html%3FASIN=4255002657%26tag=mykuad-22%26lcode=xm2%26cID=2025%26ccmID=165953%26location=/o/ASIN/4255002657%253FSubscriptionId=1WZYY1W9YF49AGM0RTG2">ナンシー・ハルバートン　吉田涼子訳『The Breath of Breads パンの呼吸が聞こえる』朝日出版社　2004年</a><br />
<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/redirect.html%3FASIN=4309243487%26tag=mykuad-22%26lcode=xm2%26cID=2025%26ccmID=165953%26location=/o/ASIN/4309243487%253FSubscriptionId=1WZYY1W9YF49AGM0RTG2">マッケンジー・ワーク　金田智之訳『ハッカー宣言』河出書房新社　2005年</a><br />
<br />
<b>【参考Webサイト】</b><br />
近藤邦明　『環境問題』を考える　<a href="http://env01.cool.ne.jp/">http://env01.cool.ne.jp/</a><br />
]]></content>
 <id>http://blog.love-aono.org/825.php:3:503</id>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[整地（パン窯）]]></title>
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 <modified>2008-04-05T08:35:00Z</modified>
 <issued>2008-04-05T17:35:00+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<div class="leftbox"><embed type="application/x-shockwave-flash" src="http://picasaweb.google.com/s/c/bin/slideshow.swf" width="500" height="375" flashvars="host=picasaweb.google.com&RGB=0x000000&feed=http%3A%2F%2Fpicasaweb.google.com%2Fdata%2Ffeed%2Fapi%2Fuser%2F825diary%2Falbumid%2F5185056992962712081%3Fkind%3Dphoto%26alt%3Drss" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer"></embed></div>木小屋の場所に引き続き、パン窯の場所を整地した。場所は予定どおり、松元さんのほぼ正面で、松元さんがたおれたときに下敷きになり負傷した小さなザクロの木のすぐ下に位置する。木小屋の場所よりなだらかではあるが、１間×２間（２坪）ほどのスペースとなると、上か下どちらかはけっこう段差ができそうだ。平らにしてパン窯を作るだけならたいした作業ではないが、そこにしっかりした屋根を設置するには、その柱の下が崩れないようしっかりと基礎をする必要もあり、なかなか大変そうだ。土が流れないように石垣か何かで土留めしなければならない。それは、このプロジェクトでもかなりの重労働になるだろう。また石拾いもしなければいけないかもしれない・・・。]]></content>
 <id>http://blog.love-aono.org/825.php:3:499</id>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[整地（木小屋）]]></title>
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 <modified>2008-04-04T14:57:00Z</modified>
 <issued>2008-04-04T23:57:00+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<div class="leftbox"><embed type="application/x-shockwave-flash" src="http://picasaweb.google.com/s/c/bin/slideshow.swf" width="500" height="375" flashvars="host=picasaweb.google.com&RGB=0x000000&feed=http%3A%2F%2Fpicasaweb.google.com%2Fdata%2Ffeed%2Fapi%2Fuser%2F825diary%2Falbumid%2F5185056430321996225%3Fkind%3Dphoto%26alt%3Drss" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer"></embed></div>燃える木材にするには木を乾燥せねばならない、そのために雨がかからないように木小屋というものが必要だとわかって、しばらくそれを立てる場所を検討した。この卒業研究でパンを焼く回数はそう多くはないはずだけれど、将来的にできれば焼き続けたいので、機会があるごとに薪をストックしていきたい。それに今回すでに大きな松の木を倒して発生した大量の薪候補を整頓しないと作業が進められない状況にある。ということで、窯から１０メートルほど離れたところになるが、将来、空間を広げていける場所を選んで、そこへ木小屋を建てることにした。<br />
<br />
鍬とスコップを使って斜面を削り、その土で平らにする。ちょっとした斜面でも、少しでも平坦な場所を広げようとすると、意外に段差が大きくなる。それに、そこへ小屋を立てるなら、結構地面を突き固めないといけない。<br />
<br />
発見したことは、８２５のこの畑には平地がない。そして整地した所に立つととても安心する。普段、いかにぼくらは歩きやすいところを歩いているか、歩き慣れているかがよくわかる。フラットであることは、ぼくらの身体のみならず気持にもとても安定感をもたらしているのだろう。<br />
<br />
先日切り倒したクヌギを柱にすることにした。その柱を試しに立ててみた。生の木はどれほどもろいのか・・・。]]></content>
 <id>http://blog.love-aono.org/825.php:3:498</id>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[切り株のおじさん]]></title>
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 <modified>2008-04-03T06:00:00Z</modified>
 <issued>2008-04-03T15:00:00+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<div class="leftbox"><embed type="application/x-shockwave-flash" src="http://picasaweb.google.com/s/c/bin/slideshow.swf" width="500" height="375" flashvars="host=picasaweb.google.com&RGB=0x000000&feed=http%3A%2F%2Fpicasaweb.google.com%2Fdata%2Ffeed%2Fapi%2Fuser%2F825diary%2Falbumid%2F5185055279270760705%3Fkind%3Dphoto%26alt%3Drss" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer"></embed></div>曇っていて寒い。連日の石運びなどで身体に少し疲労がたまっているのを感じる。今日は笹薮を刈って、松の木の切り株がよく見えるようにする。そうすれば、いつも切り株にあいさつができる。<br />
<br />
笹は鎌や鋸では滑って切りにくいので、剪定用の大きなはさみでちょきちょきと切って進んでいった。笹の中には、棘のある木（正しい名前は知らないが「ブーコン」と呼んでいる）も混じっていて、何度も棘が刺さって、非常に作業しづらかった。手の傷は、風呂でとてもしみた。<br />
<br />
松の幹に残っている枯れた枝を切ってみた。枝の付け根は、よく肥えている。肥えているところが枯れずに残ったようだ。肥えている、というのは、木の中に松やにがびっしりとしみ込んで、非常に硬くなっていることをいう。鰹節みたいだ。肥えている松は非常に腐りにくいので、木全体が肥え松になっていたりするととても高価な材木となるらしい。火をつけても長時間燃え続けるので、焚付け用にも重宝する。<br />
<br />
松の根元が出て来た。存在感がある。はじめは単に枯れて傾いていて小屋などを建てた後に倒れてきたら困るので切っただけだが、今ではなんとなく親しみもわいてきた。出生の不明な製材された材木に親しみはわきにくいし、あるいはこの土地をなんらかの業務として造成するということであれば、枯れた木などたくさんある木のじゃまな一本に過ぎない。しかし、こうして自分の身体をある環境に置き、全方向に向けてひとつ一つの行為の意味を考えていると、否応なく固有な影響を与えてくる特定の樹木となる。<br />
<br />
地域で大切にされた巨樹が神様として奉られたり、天然記念物に指定されたりする。確かに樹齢数百年ともなる木だと圧倒的な存在感を感じずにはいられないが、だからといってこうした数ある平凡な木の一本には何もないのかといえば、そういうことはない。きっと昔の人は樹齢数百年だろうと数年だろうと、それが家の一部になったり、燃料として食事や暖をとるための貴重な資源となり得て、自分や家族や地域を生かす何かであるからには、程度の差こそあれ、当然いっぽん一本が尊い存在であったんじゃないかと思う。そうでなければ、巨樹を巨樹として大切に育て上げる過程が存在しないことになってしまうから（巨樹も始めは種から始まった）。<br />
<br />
ということで、この切り株とこれからも親しんでいきたいので、松元和男さん、と呼ぶことにした。年輪を数えたら、５０歳前後。松元さん、８２５のこと、色々教えてください。これからもよろしくお願いします。]]></content>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[空間を開く]]></title>
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 <modified>2008-04-02T01:52:00Z</modified>
 <issued>2008-04-02T10:52:00+09:00</issued>
 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<div class="leftbox"><embed type="application/x-shockwave-flash" src="http://picasaweb.google.com/s/c/bin/slideshow.swf" width="500" height="375" flashvars="host=picasaweb.google.com&RGB=0x000000&feed=http%3A%2F%2Fpicasaweb.google.com%2Fdata%2Ffeed%2Fapi%2Fuser%2F825diary%2Falbumid%2F5185054514766581889%3Fkind%3Dphoto%26alt%3Drss" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer"></embed></div>天気や気分でその日の作業内容を決めている。雑然とがれきがたまってきたので整頓をしたいけれど、重いものばかりで進まない。暖かくなって、草の緑色もそこかしこに目立ち始めた。夏にはぼうぼうになってしまうだろう。とりあえず、松の木の枝や切りそろえている細いほうの幹などをあつめたり、落ち葉を掃いたりして、これから窯や小屋を建てる拠点となる場所の空間を開いてみる。ここにどんなものができて、どういう風景が作られるのだろうか。何もないってのも悪くない。風はまだ少し冷たいが、天気は良く、日が当れば心地いいので、ぼーっとしてしまう。<br />
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松の倒木の整理は一仕事だが、ボチボチやる事にしよう。どうせなら、切り株が見えるように笹薮もさっぱりしたい。この大きな松は、８２５開発の初期段階にとても大きな影響を与えているが、これをどうするかと考える事もひとつの楽しみになっている。]]></content>
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 <title type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[レンガを作ってみる]]></title>
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 <modified>2008-03-31T20:00:00Z</modified>
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 <content type="text/html" mode="escaped"><![CDATA[<div class="leftbox"><embed type="application/x-shockwave-flash" src="http://picasaweb.google.com/s/c/bin/slideshow.swf" width="500" height="375" flashvars="host=picasaweb.google.com&RGB=0x000000&feed=http%3A%2F%2Fpicasaweb.google.com%2Fdata%2Ffeed%2Fapi%2Fuser%2F825diary%2Falbumid%2F5185055859091345777%3Fkind%3Dphoto%26alt%3Drss" pluginspage="http://www.macromedia.com/go/getflashplayer"></embed></div>土を盛って窯にするわけだが、レンガに比べて扱いにくいこともある。運んだり積み上げたり・・・。それで特に用途を決めたわけでもないが、なんとなく形だけレンガのようにしてみた。赤土に水を足して足で踏んで練って、木の型に入れて干すだけ。赤い土も、乾くと白っぽくなってきた。いずれ、野焼きもためしてみようと思う。<br />
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この辺りの地層は、特に表層は粘土質の赤土になっている。これは農作業に強烈な抵抗感を与えるものだし、昔（といっても母の世代まで）は草履や靴に赤土がついているだけで「いなかもーん」と石を投げられたりするシンボルだったりしたらしく、あまりよいイメージがない。最近でこそ、赤土で栽培した根菜は絶品とか、グルメな話題でちょっとプラスイメージを獲得したけど、ただ、パワーショベルでゴンボウを掘る映像などは、ゴウゴウと石油を燃やして加温するぶどうのビニールハウスと同じく、風情のある農村風景とは言い難い。長い間、大切にされた畑などは、有機物が豊富でかなり黒くなっているが、粘土質には変わりなく、やっぱり農作業は大変なようで、狭い畑でも小型のトラクターをみな使っている。祖父は地域の産地化に力を入れ始めた世代に属していて、その苦労話はとても興味深いのだが、そのなかにもやはり「大根を栽培して作ったたくあんはとてもおいしくて好評だったが、大根の収穫にあまりにも労力がかかってみなやめてしまった」というのがある。また、雨の降った次の日も畑に入ってはいけない、という教えもあるが、これも粘土質だから靴の裏にたくさんついてしまって作業にならないという理由からかもしれない。畑に入ってはいけないとはいっても、入らないと食べていけないわけで、不利な話である。<br />
しかし、祖父の世代までは、建材としては積極的に利用されていたようで、比較的簡単に採取できる赤土ポイントが地域のどこにあるのか、教えてくれる。２カ所あって、教えてもらった場所に行くと、どちらも道に面しており、いびつにえぐられ真っ赤な地層がむき出しになっていた。地域でも土壁の材料にしたり、炭焼き窯につかったり、建材としての性質が見いだされていたようだ。ただ、今になってはそのいずれの用途にも用いられず、素材としての存在はそれを活かす技術とともにすっかり忘れられようとしている。ただ、これだけ赤土が豊富なのに、あまりレンガ作りの建物を見かけた事はないので、もしかしたらレンガには向いていないのかもしれない。<br />
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そんな材料を使って、ぼくはパン窯を作ろうとしている。採取した場所は、祖父の教えてくれたいずれの場所でもなく、現在建設されている広域農道の工事現場からもらったものだ。たまたまそこで運搬の仕事をされている近所のおじさんがいて、パン窯を作りたいと事情をいうと、トラック一杯分運んでくださったのだ。ぼくはその工事（１０年以上続いている）に心底嫌悪感を抱いている。自然の谷は１０メートル以上埋められ平地になり、山は１０メートル以上えぐられ人口の谷が出現し、慣れ親しんだ地域の地形は変わり果ててしまった。その上５軒ほどの農家が畑に行くときしか通らない道に一億数千万円と噂されるコンクリートの橋がかかり、その下には足がすくむような人口の絶壁が表れた。環境破壊も甚だしいし、税金の無駄遣いとしか思えない。しかし、その現場の土をもらってしまったことで、ぼくは正面切って広域農道建設反対！ということもいえなくなってしまった。その記憶だけ、これから作るパン窯に残しておきたい。<br />
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ちなみに、最近よく聞く石窯というのはたいてい市販の耐火レンガや耐火モルタルを使っている。土窯というのもちらほら見かけるが、それはやはり周辺の土で作った窯が多い。いずれも薪でパンを焼く。とてもおいしいパンが焼き上がる。<br />
乾燥中のレンガを見ながらふと思ったが、土でいったんレンガを作って窯にすると、それは石窯か、土窯か？自分でしょうもないことを考えてしまったと思ったが、同じような疑問を持った人がいたのか、最近は「アースオーブン」とお洒落にネーミングされたりしているようだ。そう呼ばれてもはずかしくないパン窯ができればいいなと思う。]]></content>
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